Online Journal
電子ジャーナル
IF値: 1.878(2021年)→1.8(2022年)

英文誌(2004-)

Journal of Medical Ultrasonics

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2017 - Vol.44

Vol.44 No.Supplement

特別プログラム 乳腺(JABTS)
パネルディスカッション 乳腺2 特別企画 女性のライフサイクルと乳がん~啓発活動はどうあるべきか~

(S334)

乳がんになって感じた自らのジェンダー

After the diagnosis of breast cancer, I find 'feminacy' within me.

桜井 なおみ

Naomi SAKURAI

キャンサーソリューションズ株式会社代表取締役

CEO, Cancer Solutions, Co., Ltd.

キーワード :

乳がんの好発年齢は,社会の中でも,家庭の中でも中心となって活動をしている時期と重なる.30代,仕事もプライベイトも順風満帆だった2004年夏,私は突然のがん告知を受けた.頭の中は「なぜ今?どうして自分が?」という驚きと怒り,悔しさでいっぱいになった.
よく仕事は3年目,+3年目,+7年目に節目があるという.二十代の自分を振り返ると,入社して3年間はとにかく仕事のルールを覚えることに必死.そこから3年経過した後,少しだけ周囲を見渡す余裕がでてきた.仕事の面白さがわかってきた.そして,そこから更に7年.つまり,社会人13年生になると,国家資格の受験資格ができ,自分の名前で仕事ができ,仕事をもらえるようになってきた.ようやく一人前の社会人として「独り立ち」ができるようになり,大がかりな仕事が一区切りしたタイミングで検査を受けた.37歳,「出産するなら今しかない!」そう思って体の検査をしたら,体内から見つかったのが「がん」だった.
乳房温存か全摘出するかを選択しなければならなかったが,腫瘍の大きさやできた位置から,全摘出を選んだ.当時,乳房再建手術は自家組織でなければ全額自己負担.がん保険にも入っていなかった自分は,経済的な理由から再建をあきらめざるを得なかった.
通院回数が増えてしまう再建手術は復職のネックにもなったし,自分では,出産することも,そして,乳房を失うことも,「大したことではない」と思っていたが,切除後に気が付いたのは「あるべき場所にあるべきものがないのは異形である」ということ.たかが乳房,されど乳房なのである.そして,失ってみて,はじめて自分の中に「女性」の部分があることに気づいた.
女性が「奥様」ではなく,「オモテ様」になって以来,社会生活と性・女性としての生物生活との間にはずいぶんと大きなギャップが生じてきている.
男女雇用機会均等法から始まり,バブル期,リーマンショック,ゆとり世代,一億層活躍時代,働き方改革時代…女性のライフサイクルと社会のライフサイクルは随分と変わってきたのではないだろうか?そして,そんな時代の風潮に私たちは翻弄されてはいないだろうか?何が主軸で何を忘れてはいけないのか?その原点に立ち返って考えてみたい.