Online Journal
電子ジャーナル
IF値: 1.878(2021年)→1.8(2022年)

英文誌(2004-)

Journal of Medical Ultrasonics

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2010 - Vol.37

Vol.37 No.Supplement

パネルディスカッション
パネルディスカッション4
専門医ソノグラファー養成のための教育システムを考える

(S203)

専門医・ソノグラファー育成を考える〜第82回学術集会での議論も含めて〜

A view on cultivating specialized medical sonographers - including the brief report of the last year’s symposium

畠 二郎

Jiro HATA

川崎医科大学検査診断学

Dept. of Clinical Pathology and Laboratory Medicine, Kawasaki Medical School

キーワード :

【quality controlの時代】
我が国において医療の標準化が進み,疾患の診断や治療にはガイドラインが膨大なエネルギーを費やして次々と作成され,医療の現場において本来は効率的プロジェクトマネジメントのツールであるクリティカルパスを運用しなければもはや時代遅れの謗りは免れない.その是非はさておきこのように標準化,規格化が声高に叫ばれる中,超音波の領域でもいくつかのガイドラインは存在し,また一定の規格を満たす者に対し専門医と検査士が認定されている.しかしながらその有資格者でさえ技量面でのばらつきが非常に大きく(これは本学会に限った問題ではないが),さらには検査士の資格すら持たない検査技師が超音波検査に従事していることも珍しくない.すなわち今後は資格認定のみでなく検査そのもののquality controlも重要な課題である.
【minimum requirementとfinal goal】
超音波検査においては,走査,画像解析,診断といったステップがほぼ検者単独で施行される.これら各ステップにおけるminimum requirementや最終目標には大きな施設間較差が存在し,その根底には「しょせん超音波なんて…」から「困った時には超音波」まで,超音波検査に対する期待度の差がある.最初から期待されていない→精度の低い診断でも周囲から叱責されることがない→学習のモチベーションが上がらない→技量が向上しない→精度の高い診断はできない→ますます期待されない,という見事な悪循環である.本来は学会(ここでは研究発表会を指す)が学問的にも臨床的インパクトの上からも高い到達目標を呈示すべきであるが,中には低質な演題が十分なディスカッションもなく発表される場面に遭遇することもあり,学会そのもののquality controlも必要であろう.第82回学術集会でのシンポジウムにおいては演者およびその施設のレベルが高いことから,いずれも超音波による緻密な診断という高い目標が達成されていた.また循環器では段階的な資格の設定もすでに施行されている.
【systemとmotivation】
到達目標を達成するためのシステムについて,文書としてのマニュアルを作成している施設はシンポジウムに参加した7施設中2施設であった.初心者が検者となった場合の上級者による再チェックはほぼ全ての施設で行われており,全症例に行う施設からcase by caseに判断する施設までまちまちであったが,いずれにしてもその際にhands-on trainingが行われていた.学会での発表や研修会などへの参加に関して否定的な見解はなかった.上級者が施す教育は主として徒弟教育的な要素が強く,その効果については教育を受ける側のmotivationに依存するという意見も聞かれた.とすると結局はmotivationを高めるようなシステムが構築されれば良いということになるのであるが,これは教育システムという範疇にとどまる問題ではない.また多くの演者から他のmodalityとの比較など検査後の検討を行い個々の症例を大切にすることが技量向上において重要であり,そのためにも技師−医師間の密な連携体系(とまでは行かなくても良好なコミュニケーション)の必要性が述べられた.
【first priorityは何か】
本来超音波は高度な診断が可能な優れたmodalityであることを各施設のリーダーが認識し,生ぬるい診断からの離脱に向かって努力する姿勢を持たない限り,恐らくは何も始まるまい.「しょせん超音波なんて…」と臨床医に言わせてしまったのは誰でもない,これまでの我々であることを自覚すべきである.