Online Journal
電子ジャーナル
IF値: 1.878(2021年)→1.8(2022年)

英文誌(2004-)

Journal of Medical Ultrasonics

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2010 - Vol.37

Vol.37 No.Supplement

パネルディスカッション
パネルディスカッション2
超音波で胎児を何処まで診るべきなのか?

(S196)

出生前診断技術の進歩と倫理

On the Technological Development of prenatal Diagnoses - From an Ethical Point of View

篠原 駿一郎

Shunichiro SHINOHARA

長崎大学名誉教授

Professor Emeritus of Nagasaki University

キーワード :

 そもそも出産は,動物としての人間の自然な営みである.かつては臨月を迎えた妊婦は,近隣の産婆と家族の助けを借りて自宅で出産したものである.子どもは作るものではなく授かるものであった.もとより,出生前に胎児の様子を窺い知ることはほとんどできず,生まれ出た子の性別や健康状態に家族は悲喜こもごもの経験をしただろうが,それもまた人生の一部に他ならなかった.
 そして,近年,医学医療そのものが科学技術化していく中で,その生活の一部であった出産の場は,病院に移り,医療のシステムの中に組み込まれていく.たしかに,母親と生まれてくる子の安全確保という正当化の根拠はあったであろう.しかしながら,ひとたび出産が科学技術化された医学医療の制御下に入ると,私たちは容易にそのシステムから脱出することはできない.
 出生前診断技術も,科学技術者としてのマインドに染められた医者と,それを支える関連企業によって推進され,日進月歩,より侵襲の少ないより確実な検査技術を求めて,その進歩は留まるところを知らない.超音波を用いての診断はルーティン化し,そのスクリーニングで胎児の異常が疑われるならば,羊水検査,絨毛検査,さらには母体血中胎児細胞分離によるDNA検査,と多種多様なメニューが用意され,また開発されつつある.
 そのような流れの中で,私たちは,胎児の障害のあるなしに関心を集中させられていくのである.これは製品の品質に最大の関心を払う科学技術者の発想である.その一方で,子を産むことの,生活者としての文化としての,貴重な情感を失いつつあるのではないだろうか.子を産むということ,授かること,という神聖な行為に関与する驚きや感謝,不安や期待,産むまでの苦しみや,生まれたときの安堵,こういった人間としての自然の情感を失い,ひたすら,子に障害がないことや子の完全性を期待するようなどつぼに嵌っていくのである.
 ここで,医療者は妊婦の障害のない子を産みたいという要請,自己決定,に応えているのだ,と言うならば,それは正確ではない.たしかに,だれもが健康な子が欲しいと願うが,それは祈りのようなもので,それ以上のものではなく,基本的には天の采配に委ねられていたのである.こうした,より完全な子どもを産出したいという私たちの欲望は,多分に,近年の医学医療によって生み出されたものなのである.胎児の状態が分かる技術がありますよ,という暗示が,あるいは明確な提案が,人々の欲望を作り出すのである.必要は発明の母ではなく,発明こそが,必要という欲望を生み出す母なのである.
 超音波断層法が生まれる三十年前までは,あるいは,それに先立つさまざまな診断法が開発されるまでは,どの妊婦も胎児の姿を覗き込もうなどという欲望はなかったし,胎児を選別しようという欲望は持たなかったはずである.科学技術の自律的発展,科学技術者の飽くなき真理追究と技術開発の欲望が,私たちの自己決定権に強い偏向を与えているのではないだろうか.そして,自己決定の名のもとに出生前診断を選ぶ妊婦は増え続け,多くの人が受診するという現実が,さらに受診者を増幅していくのである.
 紙幅の関係で,以上の論点だけにとどめるけれども,筆者は以下のような全体的なパースペクティブのもとに,この論点を位置づけている.そのことを二三,最後に述べておきたい.
 1.生む方の,半ば利己的ともいえる願いはともかく,そもそも障害者たち自身が,生まれなかった方がよいと考えているわけではなく,出生前診断技術の発展とその活用は,社会福祉の基本的理念であるノーマライゼーションを損ない,そしてそれに基づく社会政策を遅滞させ,障害者差別を助長していくと考えざるを得ない.
 2.医学・医療は科学技術そのものではなく,節度のある科学技術の使用は必要だが,本来,人間学的な行為であるべきである.医者は科学技術者ではなく,女性の生殖という文化に寄り添い手助けするものである.そのような意味でこそ,医業は聖職であるといえる.
 3.出生前診断技術は,母親の健康を確保するという目的に限定されるべきである.医者は,そのような限定のもとに診断技術を利用し,胎児の選別を示唆したり勧めるべきではない.医者は,医業の科学技術化と企業化に手を貸すべきではない.