Online Journal
電子ジャーナル
IF値: 1.878(2021年)→1.8(2022年)

英文誌(2004-)

Journal of Medical Ultrasonics

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2009 - Vol.36

Vol.36 No.Supplement

シンポジウム
シンポジウム2
超音波検査と教育−超音波専門医と超音波検査士の育成について考える

(S127)

超音波教育を考える−腹部超音波

Medical ultrasound: educational viewpoint

石田 秀明1, 小松田 智也1, 渡部 多佳子1, 大山 葉子2, 濱島 由紀3, 長沼 裕子4, 小川 眞広5, 熊田 卓6

Hideaki ISHIDA1, Tomoya KOMATSUDA1, Takako WATANABE1, Youko OYAMA2, Yuki HAMASHIMA3, Hiroko NAGANUMA4, Masahiro OGAWA5, Takashi KUMADA6

1秋田赤十字病院消化器科, 2秋田組合病院臨床検査科, 3濱島医院内科, 4市立横手病院内科, 5駿河台日本大学病院消化器科, 6大垣市民病院消化器科

1Gastroenterology, Akita Red Cross Hospital, 2Clinical Laboratory, Akita Kumiai Hospital, 3Internal Medicine, Hamashima Clinic, 4Internal Medicine, Yokote Municipal Hospital, 5Gastroenterology, Surugadai Nihon University Hospital, Gastroenterology, Surugadai Nihon University Hospital, 6Gastroenterology, Ogaki Municipal Hospital

キーワード :

“超音波を教育する”という言葉には,1)超音波検査技術を指導する,という意味と,2)超音波医学”をMEの観点から教授する,という意味などが含まれる.いずれにしても,巨大なエネルギーと自己犠牲が求められるが,このシンポでは1)を中心に述べたい.教育とは忍耐だと思う.私の25年の経験をお話して,学会全体でこの問題を考える際の参考にしていただければ幸いです.下記に,問題を整理する時の突破口になるであろう,いくつかの事例を述べる.これらは,私が,教育の現場で,よく耳にした,または,感じたものである.
 まず,(頂いたテーマである)診断ができる専門医や検査士の育成には何が必要か?という点について,
問題点
1)大学や学会の(教育に対する)無気力さ
指導すること,の意味や,指導者養成の難しさ,を正面視することを(歴史的に)避けてきた.その結果まともに超音波教育が出来る大学がほとんどない状態にまでなってしまった.残された道は,本学会が責任を持ってこの問題を扱うしかない.
2)時代的な精神環境
“軟弱な対応”を“優しさ”と誤認する時代で,指導する側も指導される側もぬるま湯に浸かったお友達的な状態になり,指導する側も事務的対応のみ,指導される側も,勉強意欲に欠け“自分が覚えれないのは指導が悪いから”と本気で思い込んでいる.この根底には(双方に)“超音波”なんてこの程度でいいや,と言う気持ちがある.
3)合理的な,技術教示と技術習得に否定的な伝統
欧米に比してわが国は,精神(気持ち)に重きを置き“技術”を分かり易く解説することを軽視してきた.本学会でも“超音波教育”を本気で取り上げたのは最近である.やはり,本学会が責任を持ってこの“超音波技術の啓蒙と伝達”を扱う時なのだろう.
4)日本人特有の感覚(事なかれ主義,悪平等,年功序列,飽きっぽさ)
一見,超音波教育と無関係と思われるこれらの感覚が,超音波教育の徹底と普及を妨げています.何か企画を立てるにしても,適正や能力より,年齢や地位を優先しがちです.その結果,a)超音波の無関心な年配教授が,的外れな企画を立てる,b)学会や研究会は,一回ぽっきりの講演会を各地持ち回りで乱発する.少し距離を置いて現状を見れば,“これでは超音波は滅んでしまう”ことは明白で,やはり,本学会が責任を持って,超音波を愛する人が,まともな“超音波教育”を継続出来る環境を作る時なのだろう.
5) 超音波は“お手軽ツール”と思わせてしまった愚これはガイドブック乱発で,そう思わせてしまった過去の大家達の責任もありますが,装置の販売台数を伸ばそうとしたメーカーにも少し責任はある.ここは反省して,これからは,超音波の難しさも含め,等身大の超音波を伝えることが必要です.これに関しても,本学会が責任を持ってこの軌道修正を示す時なのだろう.まず,超音波を短時間で習得できると思う愚,思わせる愚を根絶しましょう.
 結論:日本超音波医学会が,“超音波教育”を真剣に考えること,しかありません.
次に,(これも頂いたテーマの)診断能を有する検査士,と,検査室をリードすべき専門医,とは何か,考えてみました.まず,それを考えるヒントになりえる事例を述べます.
1)事例1:医師─技士の対立的図式
まず,医師自身または医師と技師との関わりについて述べます.医師はだまっていても(自然発生的に)“その専門分野の超音波検査はで上手なはずである“という誤認が,医師の中にも技師の中にもあります.”6年の医学教育とその後の医師生活から得た
英知を結集すれば超音波検査など出来ないはずはない,ゆえに技師ごときにシノゴノ言われる筋合いはない.”これが思い上がった医師の典型的(我思うゆえに我出来る,
という純主観的)思想です.この誤った確信が,対技師の場で多くの問題を生み,若手医師にも歪んだ指導をします.一方,超音波を長年手掛けたベテラン技士さんは,その医師が持つ超音波診断能力をかなり正確に把握しています.その結果,“0先生診断いい加減なんだよね,だから彼の診療もそんなもんだろ”,“X先生難しい例が来ると,不機嫌になって回りを当り散らすんだよね.どうしようもない奴さ.”,と言った具合です.この対立の図式を融和の世界に変えるには,優秀な技士さんと,その技士さんを指導出来るスーパードクターが数多くの施設にいることが望まれます.
2)事例2:技士間の対立
医師─医師間の関係も大したことがないが,技士の世界も同様にひどい.多数の施設の検査室の技士さん達とお付き合いしてきました.検査室という閉鎖空間を更に酸欠状態にしているのがつまらない人間関係であることが良く分かってきました.事なかれ主義のだめ上司に限って“みんな平等に検査が出来るようにしたい”,という誤った均等法を持ち出します.勉強する人もしない人も平等に,やる気のある人もない人も平等に,適正のある人もない人も平等に,扱うのが正しい道,という宗教感があり改宗しそうにありませんが,医師の世界を浄化するのは医師の手で,技士の世界を改革するのは技士さんの努力によるしかありません.2つの世界が健全化されたなければ,一つの豊かな大地はありえません.
3)事例2:超音波不毛施設の惨劇
超音波が下手な施設や医師の常套語は,“超音波は主観的だから”,“うちはCTで精査するから”“超音波は死角が多すぎて”,などで,“自分は超音波が下手だから”,とは言いません.超音波は,最初にされる検査です.未熟な技術の検査施行者に疾患を見逃され一生を狂わされた患者やその家族のことを想像して下さい.検査をすること,そして検査施行に値する技術を習得する意味がそこにあるのです.逃げは許されません.
 では,最低限どの程度の診断能力が必要か?肝ドーム部,膵全体の観察ができる,総胆管を描出できる,門脈系をドプラで観察出来FFT波形をとれる.これが技士さんに求められます.医師には,更に,造影超音波の判定能が求められます.(あくまで私見です)
 最後に:指導施設を厳選して“モデル施設”として,高いレベルの,技士,医師,の教育をすべきである.学会が前面にでて学会の責任とプライドをかけて教育事業を心掛けるべきである.この点で本学会が,方法論や人選で,責任を持ってイニシアチブをとれなければ,学会は“超音波医学会”を名乗る資格はない.