Online Journal
電子ジャーナル
IF値: 1.878(2021年)→1.8(2022年)

英文誌(2004-)

Journal of Medical Ultrasonics

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2012 - Vol.39

Vol.39 No.Supplement

特別企画 循環器
パネルディスカッション2 循環器疾患における携帯型超音波

(S194)

東北大震災での携帯型超音波器の使用経験

Experience with portable ultrasound V-scan in the Tohoku Earthquake.

住友 和弘1, 澤田  潤1, 長内  忍1, 藤田  智2, 長谷部 直幸3

Kazuhiro SUMITOMO1, Jun SAWADA1, Shinobu OSANAI1, Satoshi FUJITA2, Naoyuki HASEBE3

1旭川医科大学循環呼吸医療再生フロンティア講座, 2旭川医科大学救急センター, 3旭川医科大学内科学講座循環・呼吸・神経病態内科学分野

1Cardiovascular Respiratory Frontier of Medical Renovation, Asahikawa Medical University Hospital, 2Department of Emergency Medicine, Asahikawa Medical University Hospital, 3Division of Cardiology, Nephrology, Pulmonology and Neurology, Depertment of Internal Medicine, Asahikawa Medical University Hospital

キーワード :

平成23年3月11日東北大震災が発生し死者行方不明者数万人との報道が連日流れ,被災地の窮状,被害は甚大なものであった.医療の面では直ちに国内外からDMATが組織され被災地に空路支援の手が差し伸べられていたが,これまでの阪神淡路大震災,新潟県中越沖地震と大きく異なるのは,地震エネルギーによる家屋の倒壊とそれに続発した火災,地滑りなどによる被害ではなく,想像を超える大きな津波による居住地の流出と水没による被害であり,これに伴う被災者の様子であった.
私ども旭川医科大学も北海道からの要請を受けて3月23日から全10週に及ぶ気仙沼市の支援を開始することになった.気仙沼市立病院には3月23日現在18の医療チームが到着しており市立病院内に統括支援対策本部が設置されていた.ほとんどの医療班はこの統括本部の指示のもと医療活動を展開していた.
気仙沼市は海岸に面した海抜の低い地域が津波とその後に発生した火災で失われ3月27日の時点で死者600人,行方不明者1450人,避難生活者は15000人であった.気仙沼市の人口が2月末日で74247人であるから,避難生活者は市民の2割に達し,市民センター,公民館,民家など99カ所の避難所で避難生活を送っていたが被災場所によっては水道,電気などのライフラインが途絶えたままで暖を取る事も食事の準備もままならない状況が続いていた.医療面では道路が寸断,自家用車が流出,燃料が手に入らないなどの理由で通院困難者が市内各地にいて,既に内服薬が切れている,津波に流されたという人も多かった.開業医も被災しておりほとんどの医療機関はまだ診療が再開できる状況ではなかった.
我々,旭川医大チームは避難者数250人の市民センターを拠点としてその周辺の住民を対象に医療活動を開始した.震災後10日が経過していたがここには医療班がまだ入っておらず現状を把握するところから始まり,インフルエンザ,胃腸炎など感染症症状のある人のピックアップ,けが人の治療などを開始した.避難者の多くは高齢者であり,簡易トイレの台数が少ないことから夜間のトイレ回数を減らそうと飲水を控える人が多く,また避難所では運動するスペースがなく,震災後のストレスで臥床しがちとなっておりエコノミー症候群の発生しやすい状態であった.このころはまだ仮設住宅の設置が始まっておらず市民センター駐車場には車中泊する人も多くエコノミー症候群の啓発活動を行った.
今回,私がV-SCANを震災の場で使った事例としては,ワーファリンが切れた心筋梗塞患者の心内血栓スクリーニング,DVTスクリーニング,腹痛を訴える患者の尿閉の診断などであった.これまでのPCサイズの小型エコーよりもさらに手のひらサイズと小型で軽量,カラードップラー機能も有するため1台で心エコー,腹部エコー,血管エコーに用いることができる利便性を持つ.
震災から1年が経過し当時の様子が風化しようとしている中,どのような医療が展開されていたのか皆さんにお伝えしたいと思う.