Online Journal
電子ジャーナル
IF値: 1.878(2021年)→1.8(2022年)

英文誌(2004-)

Journal of Medical Ultrasonics

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2012 - Vol.39

Vol.39 No.Supplement

特別企画 領域横断
パネルディスカッション4 携帯超音波検査による診療体系の変化−診療報酬も含めて−

(S147)

東北大震災での携帯型超音波の使用経験

Experience with portable ultrasound V-scan in the Tohoku Earthquake.

住友 和弘1, 澤田  潤1, 長内  忍1, 藤田  智2, 長谷部 直幸3

Kazuhiro SUMITOMO1, Jun SAWADA1, Shinobu OSANAI1, Satoshi FUJITA2, Naoyuki HASEBE3

1旭川医科大学循環呼吸医療再生フロンティア講座, 2旭川医科大学救急センター, 3旭川医科大学内科学講座循環・呼吸・神経病態内科学分野

1Cardiovascular Respiratory Frontier of Medical Renovation, Asahikawa Medical University Hospital, 2Department of Emergency Medicine, Asahikawa Medical University Hospital, 3Division of Cardiology, Nephrology, Pulmonology and Neurology, Depertment of Internal Medicine, Asahikawa Medical University Hospital

キーワード :

平成23年3月11日近年にない大きな自然災害である東北大震災が発生,警視庁の発表では2012年2月10日現在,死者は15,848人,重軽傷者は6,011人,警察に届出があった行方不明者は3,305人であると発表されている.また,高齢者を中心に,避難所で死亡する者も相次いでいる.避難所の不衛生や寒さによる死者は,3月末までに280人を超えた.
震災直後から国内外からDMATが組織され被災地に空路支援の手が差し伸べられ,私ども旭川医科大学も北海道からの要請を受けて3月23日から全10週に及ぶ気仙沼市の支援を開始することになった.気仙沼市立病院には3月23日現在18の医療チームが到着しており市立病院内に統括支援対策本部が設置されていた.ほとんどの医療班はこの統括本部の指示のもと医療活動を展開していた.
気仙沼市は大津波とその後に発生した火災で2011年3月27日の時点で死者600人,行方不明者1450人,避難生活者は15000人であった.気仙沼市の人口が2月末日で74247人であるから,避難生活者は市民の2割に達し,市民センター,公民館,民家など99か所の避難所で避難生活を送っていたが被災場所によっては水道,電気などのライフラインが途絶えたままで暖を取る事も食事の準備もままならない状況が続いていた.医療にアクセスするにも道路が寸断,自家用車が流出,燃料が手に入らないなどの理由で通院困難者が多数避難所にいた.内服薬が既に切れているか津波に流され中断となっている人も多数いた.開業医もほとんどが被災しており医療機関は診療再開の見通しが全くたっていない状況であった.
我々,旭川医大チームは避難者数250人の市民センターを拠点としてその周辺の住民を対象に医療活動を開始した.震災後10日が経過していたがここには医療班がまだ入っておらず現状を把握するところから始まり,インフルエンザ,胃腸炎などの感染症患者のピックアップ,けが人の治療などを開始した.避難者の多くは高齢者であり,簡易トイレの台数が少ないことから夜間のトイレ回数を減らそうと飲水を控える人が多く,また避難所では運動するスペースがなく,震災後のストレスで臥床しがちとなっておりエコノミー症候群の発生しやすい状態であった.このころはまだ仮設住宅の設置が始まっておらず市民センター駐車場には車中泊する人も多くエコノミー症候群の啓発活動を行った.震災から1年が経過し当時の様子が風化しようとしている中,どのような医療が展開されていたのか皆さんにお伝えしたいと思う.